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2011年3月20日 (日)
 
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震災から10日目。
胃がずっしりと重たく、頭は混乱したまま、まだこの悲劇を処理できないでいます。

友達や家族とどんな会話を交わしても、「かわいそうだね」「何かできないかな」などという言葉のなんと薄っぺらいことか。

さっき、ささいなことで、長女をものすごく怒ってしまい、結局、震災前と何も変わっていない自分がいて、余計に落ち込む。

いつもの日常をと思いつつ、いつもの日常なんて送れるわけないとも思う。
お気に入りのドラマも頭に入ってこず。

いつもの消費をと思いつつ、いつもの量のおむつを買いながら、後ろめたさを感じたり。
うちにだって、7カ月の赤ん坊がいるんですと心の中で呟いて。
カートいっぱいにカップ麺や水を買い占めていくおばさんに冷たい視線を向けながら、でも私とあのおばさんとは何も違わないんじゃないかと思う。
誰もみな、やっぱり自分や家族が大事なのだから。

一方で、原発に放水する自衛隊やレスキュー隊の人たちの崇高さと、こまめに節電する私の暮らしの小ささとの間にあるあまりに大きな落差に愕然としてみたり。

私にできることなんて、何もないと思い知らされた10日間。
震災の報道に心も体もすり減らし、テレビを消してはみたものの、街の至る所に設けられた募金箱に、一体いつまで、どれだけ、募金し続けたら被災者は救われるのだろうと、足が止まる。

愛が目に見えるものだったらいいのに。

小さな子どもが自分よりも小さな子どもをぎゅっと抱きしめて、「かわいい」と微笑む顔には、確かに愛があふれていました。

私は明日も、この子たちのために、愛する家族のために、台所に立ちます。