Date_add (読者109人)

アーカイブ

生かされて生きる

2011年4月19日 (火)
 
今回の地震で被災しました。多くの方々のお見舞いの言葉ありがとうございました。一つ一つ心に沁みました。

ようやくライフラインが復旧し、お料理が自由に出来るようになりました。
食いしん坊なので料理を思いっきり作りたくてウズウズしていました。cookを楽しみたいです。又皆様のレシピにお世話になりますのでどうぞよろしくお願いします。

私は喉元を過ぎれば暑さを忘れる、という人間なので、ちょこっとここに書き残します。
私自身の信仰の話でもありますからですから住む世界が違うわ、と思われたら読むのをスルーしてくださいね。

私はプロテスタントのクリスチャンです。(エホバや他のカルトとは違いますよ)
3・11以来、こんなことが、なぜ起こったのか?問い続けて悩んでいました。都知事の一言にも傷口に塩を塗られた東北人の一人です。天罰とは思えません。
石原氏曰く「日本人のアイデンティティーは我欲。この津波をうまく利用して我欲を1 回洗い落とす必要がある。やっぱり天罰だと思う」と。(彼は自力本願の新興宗教を持っているから発したのでしょうか・・)

本当の神様はこの世を支配しておられ、歴史を支配しておられることは百も承知です・・
(私の信じる神は人“を”創った方です。神社の神は人“が”作ったものです)
その神様のご支配の中で、このような悲惨な出来事が起こったのか?ということを悩み、答えを求めてきましたが、正直なところ現実を見てしまうと心が萎えていました。
もちろん根本は人間の罪ゆえ、と理解しています。
与えられている自然や生き物を管理するのが人間の務めであると聖書の創世記の1章に記されています。
地球環境が悪くなってきたのは私を含めた人間の罪でしょう。動物やその他の生き物は完全なのに、人間だけが自由意志を与えられ、その自由を好き勝手にしてしまいましたから。
神様の思いよりも自分を優先してしまったアダムとエバの人類最初の罪が今もって続いているのです。
周りを見回してみると神様から与えられなかったものは何一つありません。例えばこのPCもTVも車も家も自分たちが作ったように思いますが、それらの材料の元は神様から頂いたもの。それを好き勝手に使って破壊を繰り返しています。その結果は水の汚染、砂漠化、動植物の絶滅、など・・数えられないほどです。

以前観たアメリカのTVで核実験をエンターテイメントのごとく人々が近くで肉眼で見ている番組がありました。その実験もアメリカ中国フランスなど・・何百回も行われています。人間はどこまで傲慢なのでしょう。地球が病んでいること、地震や津波もそれに起因する一部かもしれないな、と私は勝手に思っています。youtubeでこんなのを見つけましたよ。
http://www.youtube.com/watch?v=I9lquok4Pdk&feature=player_embedded

今は原発の収束のために祈っています。
我が愛する日本はあるルートよりお金のために危険を無視してウラニウムを購入し原発を誘致、マスコミも逆らわずに安全とふれ回っていたこと・・事実は戦前と同じで隠されたままなのでしょう。
かつて私は母に「なんで戦争に反対しなかったの?」と聞きました。もしかしたら、今度は娘に「なんで原発に反対しなかったの?」と言われるかもしれません。
これから続く子孫に申し訳なく思うのです。

残されて生かされている者が丁寧に生きることが神様のみこころでしょう。
四方八方が塞がれていても上を見上げる信仰が与えられていますから挫けたりしませんよ。

最近慰められている歌を紹介します。
「静まって知れ」http://youtu.be/watch?v=SqKPXMnMBXA

神様は決して私たちを見捨てず、朝ごとに変わることのない永遠の愛を与えてくださると告白しています。
『神はわれらの避け所、また力。
苦しむとき、そこにある助け。
それゆえ、われらは恐れない。
たとい、地は変わり山々が海のまなかに移ろうとも。
たとい、その水が立ち騒ぎ、あわだっても、
その水かさが増して山々が揺れ動いても。』詩篇46

きのう景色が失われた故郷に立って、残された私たち家族はしばらく言葉をなくていました。何一つ贅沢するでなく、土を耕し、家畜の世話をし、自然と共に穏やかに過ごしてきた東北の純朴な家族が、人々が、こんなにひどい災難に遭うとは・・
目をつぶると、子供たちを遊ばせた美しい海岸、一面絨毯敷のような田園風景、そこに点々と佇む家々、その中を空気いっぱい吸いながら義母と散歩したこと・・思い出され胸が苦しくなります。
素朴に野と共に歩んできた主人の家族があっけなくとられてしまった・・・
しかし、たとえ野垂れ死にしようとも、「私を信じるものは永遠に生きる」このように約束されている方に信頼して、与えられた一日一日を最後の日だと思って歩みたいと再決意しました。そして再び後の日に家族に逢えることを楽しみにしています。
続く永遠の人生のほうが想像できないほど素晴らしいのですから。

この大きな出来事を通されて何が大事か教えられました。
揺さぶられて本当に必要なものは何か、優先順位がはっきりしました。これからの人生、ハンドルを神様に握っていただき”生かされている”ことを日々感謝しつつ過ごしていきます。