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カレーたらしめるもの

2006年12月9日 (土)
 
おもしろいカレーを食べた。
鶏肉、茄子、人参はいいとして。

チクワ。
さつま揚げ。
モツ。
餃子。
メンマまでもが入る。
http://tuesdayxx.exblog.jp/4804707/

トッピングに煮た豚足をつけてもらう。
しかしカレーにチクワかよ、とゲラゲラ笑った後で、考え込んでしまった。



カレーという料理は、本場インドにおいては「煮物」という概念に近いときく。
インド料理の本をひもとくと、そこには食材の数ともいえるほど無数の「カレー」が登場する。
平面上に「ラーメン」や「しょうが焼き」「筑前煮」を並べ、ごく一般的な日本人が想起する「カレー」と、チクワやメンマの入った「奇異なるカレー」を比した時に感じられる違和感も、実は「香辛料を用いた煮物」は全て「カレー」と呼ぶのだという視点まで天高く昇り俯瞰してみると、その違和感は、まるで子供じみたものに思えてくる。

いや、天高く上昇する必要もない。
「タイカレー」が一般化した現在では、カレーに「ココナツ」や「タケノコ」を入れることは、全くおかしなことではなくなった。
換言すれば、全ての煮込み料理は、香辛料の調節次第で「カレー」たりうるということなのであろう。

母親はカレーづくりが苦手で、カレー粉を用いた炒め物さえつくるのをいやがった。
曰く
「なんでもカレー味になってしまうから」
彼女なりの本能で、自身の培った料理のボキャブラリーが、カレー粉によって全て覆されてしまうことへの無意識的な畏怖があったのかもしれない。
いや。
意識的であったのか・・・。

話が前後するが、今、「豚足」という食材にとても凝っている。
「足テビチ」や「焼き豚足」など、以前から大好きな食材ではあるのだが、我々日本人が文化として稚拙な「モツ」部分の調理法について折をみては勉強している。
その一環である。
スペインでは豚足をトマト煮にするという話を聞き及び、それではと意気込んで煮てみたものの、米食文化になじんだ僕の舌にはいまいちしっくりこない。

ベーコンを足すことでずいぶんと食べやすくなったが、画期的な方向転換が「カレー粉」であった。
全ての旨みが、しっかりと着地する。

このとき、「豚足のトマト煮込み」という料理は、「豚足カレー」という根本からの転換がなされていることにお気づきだろうか?
「豚足のトマト煮込み」も「豚足とベーコンのトマト煮込み」も、「カレー粉」というマジック・スパイスを加えることで、一瞬にして「カレー」になってしまうのである。
「肉じゃが」も。
「チンジャオロースー」も。
カレー粉を加えれば、カレーになる。
これほどまでにパワフルな調味料を、僕は他に知らない。


大航海時代とは、ヨーロッパ諸国が世界中の「スパイス」をもとめた時代でもあったという。
肉食を中心としたヨーロッパの食文化の中でスパイスの占める位置はことのほか大きい。
独特な匂いを発する獣肉は、スパイスを用いることで、その臭みを消し、いわゆる「塩焼き」以上の複雑な料理文化へと発展した。


明治維新から130年以上の年月がたってもなお、わが国における「食肉(モツを含む)」+「香辛料」という文化は「カレーライス」に収斂されているとはいえまいか?
古の日本帝国海軍における「カレーライスの発明」が瞬く間に家庭へと浸透した背景にあったものは、当時の家庭ではまだポピュラーではなかった「肉食」に対して、一種の「結界」を張るという考え方だったのかもしれない。
そう考えると、今だ多くの日本人にとってのカレーが、インドのカレーと比べて、随分保守的であるのもうなづけるのである。
2006.5.30


*料理における「結界」のイメージは、同じ国民食といえる「ラーメン」でも考えたことがあります。
ラーメン丼のフチに、よく「雷紋(らいもん)」が描かれていますよね?
なぜか、ナルトの渦巻きにも似ているし。
あれ、すごく呪術的な模様だし、一度きちんと調べてみたいと思ってるんですけれども・・・
なかなかね。(笑)
抵抗あったと思うんですよ。
和風だししか知らない人たちが、はじめて食べるラーメンのスープ。
「獣の骨」からとったつゆって。
「魔よけ」とか、「毒消し」とか・・・
あの意匠(デザイン)に、なにか呪術的な意味、例えば「護符(ごふ)」のような意味を見出してたんじゃないかな・・・
なんて考えたりします。